
こんにちは。うらのです。浦野直哉(ウラノナオヤ)というのがフルネームです。
で、今回は誕生秘話(?)です。が、はっきり言って今回のは非常にしょうもはない話だと思います。
うらのの生まれ故郷
生まれは福岡の「筑豊」
僕は福岡県の「筑豊」という壮絶な田舎で生まれ幼少期を過ごしました。
僕が生まれ育ったのは「田川」というところでした。その名の通り田んぼや畑が広がっており、まさに「田舎!」という言葉を映像化したような場所です。また、筑豊は炭鉱で大きくなった街であり炭鉱で働く方ばかりいました。
偶然にも、リリー・フランキーさんと同郷でして、「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」の光景を見ていただければ筑豊がどのような場所なのかとても良くわかると思います。
通称「修羅の国」、北九州市小倉へ
そして幼稚園くらいに北九州市の「小倉」という街に引っ越しまして、そこで育ちました。
小倉は、んー・・怖い人が多い街です。通称「修羅の国」と呼ばれていて、「山口組が唯一入り込めなかった街」として有名ですよね。もっとやばい組織がいたからという話です。
これ冗談みたいに聞こえるかもですが、小倉ってところは落とし物が手榴弾だったり、職務質問して持ち物を警察が検査したらロケットランチャーをもってたり、って事件がよくありました。銃声なんてのも、何度か聞いたことがあります。
筑豊生まれで同郷だったリリー・フランキーさんですがその後小倉に移り住んでおり(その点も僕と同じ)、こんな名言(?)を残しています。
小倉で生まれたんだけど、小倉は7割がヤクザであとの3割が殺人鬼だよ
リリー・フランキー
そういう方が多い街なので、歓楽街が栄えてました高校生までしかいなかったので立ち入ったことはないですが)。この動画とかは雰囲気をよく表していると思います。
いや、まじでこんなわちゃわちゃしたところです…。
幼少の頃から自営・起業に触れてきました
父親は自営業者だった
そんな治安の悪い小倉で、僕の父親は消費者金融会社を経営していました。
このような治安の悪い所で消費者金融ですから(いわゆる街金)そうとうな苦労はあったとおもいますが、かなり事業はうまく言っていたようで、かなりお金をもっていました。
- 街に出るとカイジの黒服みたいな人たちが列をつくって挨拶をする(ほんとです)
- 小倉駅でタクシーに乗って「浦野です」というと住所を言わなくても家につく(有名すぎて)
- 医者の息子の友達の家に遊びにいったら「君のお父さんを小倉で知らない人間はいないぞ・・・」と意味深なことを言われる
…等々
そういえば、普通預金の通帳1つに2億円入ってるのも見ました。
心理的な抵抗はあったものの・・・
正直、僕は子供の頃、父親のことが拝金主義者のように見えており、なんだか抵抗がありました。ああいう大人にはなりたくないな。お金で人のことを見くだしているように見えるし、と。すさまじい力を持っているのは感じていましたが、反面教師みたいに思っていたのです。
とはいえ、子供の頃から自営業者の父親にいろいろなことを教わりました。20代後半で起業をするときにも直感的にわかることが多くすんなりと成功できたのだと思っています。
※ 【会員の方へ】ここでオンラインサロン会員の方に、うらのからメッセージがあります。
この先のブロックを表示する権限がありません。サロン会員登録、もしくはサロン会員としてログインをお願いいたします。