うらの、大学へと

大学進学で小倉脱出

オラ、東京さ行くだ

大学進学となったときに、僕は閉塞感の強い北九州小倉を脱出しようと企てます。

父親が早稲田大学出身で「早稲田は最高」論者だったのを利用し、僕も早稲田にいけば東京にいかせてもらえる!と考えたのです。

そして、苦労しましたが早稲田大学の政治経済学部政治学科に合格し、晴れて東京へといくことに成功しました。運良く早稲田大学の中でも一番難関ともいわれた学部・学科に入ったことで、今後の選択肢がかなり広がった感覚を持ちました。

このときの喜びは今でも覚えています。

法律と数学に詳しくなった

大学ではあまり勉強をしませんでした。いや、ほとんどしませんでした。

が、しかし、法律と数学だけはしっかりと勉強しました。単純におもしろかったのもあるのですが、なんとなく直感的にこれが将来の自分の仕事に役立つきがしていたのもあります。

今でも法律はそうとう詳しいと思います。特に民事系の実体法・手続法はまだかなり頭に入っていて、最新の判例などもたまに追っています。今、弁護士法人(もしくは弁理士法人)を1つ作ろうかななんてことも考えていますが、この発想自体、法律をしっかりと勉強していなかったらできるものではないと思います。

また、なぜか数学だけは子供の頃から得意でした。早稲田の受験も数学でしていますし、ほぼ満点だったと思います。知識としてはその大部分を忘れてしまいましたが、数学的な思考はおそらくまだ根底に残っています。例えば、たった今この文章を書くときにも数学的な思考が多分に活かされています。

いろいろな経験

一軒家なのに風呂なし

住んでいたところは池袋だったのですが、家賃が48000円でした。しかも一軒家(屋上付き)です。

が、なぜか一軒家なのに風呂がなく、また、トムとジェリーみたいな穴が壁にあいてたり、引越し当日まだ荷物を運び込む前にゴキブリが出たり、僕には見えなかったのですが親子(母・息子)がいるという説が・・・といったおしゃれなおうちでした。

髄膜炎

ただ、大学1年生のときに髄膜炎という病気にかかり、死にかけました。原因は過労です。

48時間ほど意識不明であり、後遺症がまず残ると医者に言われました。幸いだったのはちょうど実家に帰ったときだったことと、後遺症が運良く残らなかったことです。

ただ、今まで何度も入院しましたが、このときほど苦しかった経験は未だありません。

事故

20歳のころに、バイト帰りに事故を起こします。原因はやはり過労。1日14時間とか働いていたのですが、さすがにそれは無茶だったようで、帰りにバイク事故を起こし、唇が真っ二つに。40針以上縫うことになり、今でも顔に傷が残っています。

でもまぁ、

総じて平和に暮らしました。多分。

 

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